御霊は大山に帰る
古くから笠岡の人々は、伯耆大山(鳥取県)を「大神山」と呼び、四国の石鎚山と同様に霊山として信仰してきた。
笠岡に住んでいた橋野與左衛門(後の政範上人)は、若い頃から仏門に帰依し、伯耆大山の大仙智明権現を信仰していた。與左衛門は二十歳の頃、大病を患い、曰頃信仰していた大仙智明権現に祈願し助かった。そこで霊山・伯耆大山にお礼参りをし、大仙智明権現の御分体を受け、笠岡に持ち帰り勧請奉祀した。
笠岡では、「人は死んだ後に御霊は大山に帰る」と考えられ、先祖の霊に会い御霊を弔うために伯耆国に参詣していた。しかし、伯耆国が遠いため、参詣できる人が限られていたが、政範上人が大仙智明権現を持ち帰ったおかげで近郷の多くの人が先祖の供養を笠岡の大仙院にお参りすることで叶えることができるようになった。
流水灌頂法会(ながれかんぢょうほうえ)
旧正月24日(初大仙)と旧7月24日(地蔵盆)の年二回の縁日に、近在御寺院約20名が出仕をして開筵する真言密教最上最尊の秘法秘儀。この大がかりな厳儀を定期に執行している寺院は全国的にも珍しく、正に当院信仰の源泉となっております。
水子供養
この場合の供養が必要とされる水子霊とは、所謂堕胎(人工妊娠中絶)の扱いを受けて殺害された胎児の霊魂に特化されたものであります。